カテゴリ:シリトリヨタバナシ( 52 )

ズッキーニ

 「チャンボッタ」というイタリア料理をたまに作る。といっても、今の住処ではちょっとやりにくいので盆休みに実家に帰った時などにだ。

 この料理を覚えた本にある通りに作るならば、材料の一つとしてズッキーニが要るのだが、俺はそれをキュウリで代用する。その方がひと手間減らせて味があっさりし、何より入手しやすいから。後に作り方を簡単に書くけれど、ズッキーニを使う場合は最後の炒めに入れる前に一度、素揚げして油切りをしておく必要がある。それをしないとちょっとエグみが残ってしまうのだ。キュウリならばただどばっと鍋に放り込むだけでいい。そんなわけでキュウリを使う。だからそれはひょっとしたら正式には「チャンボッタ」とは呼べないのかもしれないけれど、しかし、キュウリでも美味いんだからいいのだ。

材料:(それぞれの分量は、手持ちの鍋の大きさから考えて決めて下さい)
玉葱、茄子、胡瓜、トマト、パプリカ(赤と黄色各1個づつ)、大蒜
塩、タイム(粉末より葉っぱのものが良い)、オリーブ油

手順:
・茄子を5mm位の賽の目に切り、ボウルに入れて塩をふって軽くひと混ぜし、しばらくそのまま置いておく。水抜きをするのである。
・パプリカを二つともオーブントースターに入れ、焼く。20〜25分位。
・トマトの皮をむき、水平に二つに切りスプーンで種をすべて取り出し、賽の目に切る。胡瓜と玉葱も同様に賽の目に切る。
・茄子をの水気を絞り、ザルにあげておく。
・パプリカが焼き上がったら、こげた表皮を剥く。で、ここが大事なところ、焼けたパプリカの中には甘い果汁(?)が溜まっているので、それをこぼさないようにボウルとザルなんかを使ってね、切り開いて種を取って、やはり賽の目に切る。ちゃんとボウルにパプリカ果汁、捨てずに残しておく。ここまでで下ごしらえ終わり。後は仕上げに入る。
・蓋(ふた)のできる鍋(しっかり蓋ができるのならフライパンでも可)にオリーブ油を大匙2〜3杯ぐらい、そこへ、二つ割りにして中の芽を取り除いた大蒜を2片ほど入れ、それから火をつける。
・いい香りがしてきたら玉葱を入れ、しばらく炒める。大蒜は取り出しても良いし、そのまま入れっぱなしでも、どちらでも良い。
・玉葱に火が通ってきたら、茄子と胡瓜を入れ、さらにしばらく炒め、こんなもんかな〜と思ったところでパプリカを例のボウルに残った甘い果汁と一緒に入れて、ささっと炒め、トマトをざばっと入れ、タイムを大匙にして3分の2位?入れ、さっくりとひと混ぜし、蓋をして火を止めてそのまま15分ぐらい蒸らしてできあがり。

 下ごしらえがちょっと面倒ではあるけれど簡単でしょ?この料理の偉いところは、調味料らしい物をほとんど使っていないところ。茄子の水抜きに塩を使うけれどそれは洗い流してしまうからね。それぞれの野菜たちの味だけで勝負、なのですよ。作ってみるとその絶妙な味に驚くと思う。上に書いた通りに作れば、よほど間違えない限り美味しいチャンボッタができますよ。ご飯にもパンにも良し、スパゲッティのソース代わりにも良し、できたての熱いうちも、冷めてからでも、とにかく美味い。

 おためしあれ。
<次回は「に」または「いに」で始まるタイトルですよ>

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by edoya-ex | 2005-12-20 00:04 | シリトリヨタバナシ

ルーズ

 ところでルーズソックスはもう流行らないのかね。

 それならばよろしい。あれは見事なまでに醜く悪しき流行であった。醜い、とは言っても誰も彼もが醜かったわけではない。100人中3人ぐらいは似合っていたかもしれない。残りは、どうでもいい。どうでもいいこともないか。敢えて言うならば、ただでさえ太い足にさらに分厚い生地を纏ってどうしようというのだ、と言いたくなることが日に15回、あんまりだ。廃れて良かった。
(ここまではただの前振りなので、あんまり真剣に受け取ってはいけない)

 さて、それよりも俺が嫌いなルーズな服装があるのだが。ジーパンのゆるくてずり落ちそうでパンツ(下着のパンツね)の上の方が5センチぐらい見えてる男だ。だいたいが、あんなにずり下がっていてはイザという時に蹴りが出せないではないか。あるいは勝てぬと判断した時の逃げ足に影響するではないか。わからん。わからんがしかし、その服装をしている男はだいたいが動作が緩慢である。重心の移動がガタガタで体をゆさゆさ揺すって歩く。靴の裏は外側が減り、肩が前に落ち下あごが突き出た姿勢で爬虫類のような目で世界を見ている。まだ若いというのに脇腹や首筋には嫌らしくでっぷりと脂肪が乗り、ジャンクフードによる肉食過多ゆえの体臭を隠すための安いオー・デ・コロンのさらなる悪臭をぷんぷんさせている。

 そんなのが例えばコンビニで雑誌の立ち読みをしていたりするんだよ。似たような野郎二人でさ。何読んでんのかな〜って横からちょっと覗いてみると、なんかストリート系のファッション誌を二人仲良く読んでんだな。俺はもう、可笑しいやらコロン臭いやら同じ空気吸うのが耐えられなく情けないやらで早々に買い物すまして帰ってきたよ。まったく、鎖やらピアスやら金物じゃらじゃらさせやがって。鬱陶しい。顔の作り考えて髪染めろってんだ。だいいち、得意げに見せているそのパンツだがなあ、見せるつもりならもーちょっとマシなの履いてくれ、な。それはどう見ても、どこかそこらのスーパーで三枚組500円(税別)で売ってるシマシマトランクスだ。ママに買ってきてもらったものだろうな。

 ということで、客観的にはもう、どーしよーもないぐらいダメダメな彼等なのだけれど、ファッション誌を見てたり、それなりに着飾ってたりしているってことはひょっとして、まさかとは思うが彼等の主観的には少しでもモテることを期待しているのだろうか?だとしたら、その考え方からしてすでにダメなのだ。

 よって、もう話すことは何もない。わしは寝るぞ。

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<次回は「ず」または「うず」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2005-11-22 23:33 | シリトリヨタバナシ

タージ・マハル

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 平成○年○月○日 山の上閉塞祈念会館での講演より

 本日はみなさま、おこしいただきまことにありがとうございます。お料理について、お話しすればよろしいのかしら。
 牛肉のおいしくいただける季節になりましたねえ。ちかごろはお店で買うことが多くなりましたけれど、私の若い頃は裏の畑からもいできたものですけれどねえ。ええ、牛肉を。牛肉の季節が来ると裏の畑が一面にぱあっと輝くようになるのですよ。今でもまぶたの横にその光がよみがえってくるようですね。満開になるのが待ちきれずにまだ若い牛肉の若芽をこっそり摘んでしまったり…。おきゃんでしたからねぇ私も。そのことでよく太郎にからかわれたものですよ。ええ、太郎。執事の。あら、犬だったかしら。それともヒツジ…。
 先だっても牛肉をいただく機会がございましたの。お名前は出せないのですが、さる名高い料理店の厨房のかたがたが私の料理道場へ出張ってきて下さいましてねえ、お互いの研究のため、ということで。大きな声では言えないのですがそのお店、何でも昔から宮内庁ご用達だったのですって。それではなおさら期待がふくらむというものではありませんか。そうしてできあがった秘密の牛肉料理をひとくち、いただきました。大きな声では申し上げられないのですが私、少なからず失望してしまいましてねえ。おいしいのですよ、たしかに。でも何と言いますか、若すぎる、と言いますか、つまり青臭さが残ってしまっているのですね。かりそめにも料理人を名乗るならば牛肉に残る青臭さにはやはりセンシテブでなければなりませんわよねぇ。
 塩加減の問題なのでしょうか、油から引き上げる手際が悪いのでしょうか、それともそもそもまだ充分に熟していない牛肉でしたのかしら。これでは私が馳走したほうがはるかにマシ、というものでありました。ありましたけれど、そこはそれ、同じ釜の飯を食らった者同士…、あら失礼私としたことが「飯を食らった」なんてお下品な、ご飯を頂いた…あら失礼、そんな事実はございませんでしたねえ、そもそも同じ料理人同士だからといって遠慮なんかしてはいけないのです。まずいものはまずいのですから、私もあのときはまずい!と叫べば良かったのです。それでも私、臆病者でまた同時に煩悩の犬でもありますからそんなはしたなきことその時は口にできずにしかたなくそのあとも二口三口と食べ続けついには一皿全ての牛肉を平らげてしまいもう口の中はもとより鼻の奥の副鼻腔のほうにまで青臭き憎き牛肉よ胃の中を暴れ回り肝臓を刺激し耳の奥に流れる怪しげなメロディ気がつけば汗まみれの肌襦袢ああおたすけあれおたすけあれおたすけあれ………………
 (講演中断)

 *講演中に錯乱状態に陥り緊急入院した料理研究家の田島ハルさん(68)は現在、多少の記憶の混濁はありつつも現場復帰を果たしております。しかし依然として講演中に語った「牛肉」が本当は何の食材のことなのかは主治医からのストップがかかり確かめられずにおります。

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<次回は「る」または「はる」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2005-11-17 21:42 | シリトリヨタバナシ

ロードスター

 これは全くの個人的な意見だが、マツダのロードスターは他に類を見ない美しい自動車である

 このことに気付いたのは三年ほど前。いつもの通勤の道でのこと。何気なく自転車で走っていると、道の向こうから一台の真っ白いロードスター(二代目の固定ライト型)がゆっくりとこちらへ近付いてくる。その正面から見た顔!なんと優しい笑顔をたたえながら走っているのだこの車は…!一目惚れ、である。もちろんそれまでもロードスターという車が綺麗な自動車であることを知ってはいたが、これほどのものとは気付かなかった。

 初代のリトラクタブルライトのロードスターに思い入れのある人も多かろうが、俺個人としては「笑顔の可愛らしさ」で断然二代目が好きだ。

 今年リリースされた三代目のロードスター、初めて写真で見た時には何だかボテッとした風に見えて如何なものかと思っていたが、街を走る実車を見てみればそれもまたいらぬ気遣いだったことがわかる。やはり相変わらず美しい。

 俺は運転免許証を持っていない。今後も免許を取るつもりはあまりないのではあるが、ロードスターのことを考える時、ふと、免許証を持っていれば良かったかなと思ってしまうこともあるのである。
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by edoya-ex | 2005-11-13 19:09 | シリトリヨタバナシ

レジェンド・ヒーロー

うるとらまんのおぢさんが
こうもりくわえいったとさ
そこのぼっちゃんきいとくれ
あたしゃこれでもそのむかし
せいぎのみかたとあがめられ
かんせつえんもなんのその
しょうかふりょうのさむいひも
かふんまみれのはるのひも
かいじゅうたいじにみをやつし
うちゅうのはてのこのほしを
あおいちきゅうをまもりぬき
ひかりのくににかえるひを
いまかいまかとまちのぞみ
むしょうほうしのひびじゃった
それがいまではこのとおり
こうもりかじるごみぶんさ
いまじゃこのてもさびれてしまい
こうせんだすにもいきがきれ
こうもりやくのがせいいっぱい
だれもわしなぞおぼえちゃおらぬ
どうかぼっちゃんおねがいだ
こころのそこからおねがいだ
とおいむかしにこのほしを
あおくかがやくこのほしを
わるいやつからまもりぬき
へいわなせかいをもたらした
ぎんのきょじんがいたことを
このさきつづくみらいのよにまで
つたえつたえておくれでないかい
つたえつたえておくれでないかい

江都屋/the World Atlas 2004年11月14日付「声に出して読みたいブログ」を改題、再録しました。ちょっと安易だったかね。)

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by edoya-ex | 2005-11-12 21:14 | シリトリヨタバナシ

デ○○オのトイレ

 正常と異常の挟間で→デ○○オのトイレ

 今日、用事で出かけた帰りに某電器店デ○○オに寄りトイレを借りた。

 ここのトイレは最新式かどうかは知らないが結構具合の良いウォシュレットが設置してあるのだ。具合の良い、というのは別にノズルの角度や水勢などのことではなく、操作盤の位置などの具合の意味である。腰掛けた状態で無理なく操作できるか等のこと。その点、なかなか良い。

 用を足し、水を流そうとしたが、はて、どこをどうすれば水が流れるのであろうか?最近のトイレは「手を近付けると水が流れます」みたいなセンサーが壁面についていることが多い。ウォシュレットが割と新しめなのでそれにつられて水を流すのもそのようなセンサー式なのであろうと無意識のうちに考えてしまい壁をぐるりとひとまわり眺めるが、それらしいものがどこにも見当たらない。ちょっとしたピンチである。まさか流さぬままその場を去るわけにはいかない。ああ想い起こせば小学生の頃、流し忘れて大騒ぎになったこともあったのだな。あたかも他人の仕業であるかのような顔で見物に行ったものだがしかし、今はもう小学生ではなく(多少問題はあるが世間的には)立派なオトナなのだ、俺は。落ち着け、冷静にもう一度さがすのだ。

 落ち着いて探したら、何のことはない、開けた便座のフタの陰に隠れてちょうど腰骨の辺りの高さに水流しのレバーを見つけた。あの、がっくん、って下げるタイプのレバーね。がっくん。ざばー。一件落着。まったく、ウォシュレット部分のコントロールパネルが軽い操作感のデジタルデジタルしたやつなもんだから、ついつい水流すのもそうかと思い込んでしまったが、考えてみればデ○○オのトイレって、そのベースの便座自体は特に最新型というわけではないのだね。これでまた一つオベンキョになったあるよ。

 ところで、最新のウォシュレットを導入していただくのは大変けっこうなこと(皮肉でもなんでもなく、本当に)なのだが、惜しいことにペーパーホルダーの位置が低すぎて使いづらいことこの上ない。あと10センチいやせめて5センチでも高い位置についていれば良いのだが。ペーパーの取り出し位置が膝より下になるというのはどうも納得がいかぬ。あるいはこれは昔、ここにまだ和式便器が設置されていた頃の名残なのかもしれぬ。そう考えればその低さにも納得がいくというものだ。

 では、またね。

<次回は「れ」または「いれ」で始まるタイトル>

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by edoya-ex | 2005-11-05 21:15 | シリトリヨタバナシ

正常と異常の挟間で

モンゴリアン・チョップ的人生→正常と異常の挟間で

 結局のところ世の中には
・正常な人
・異常な人
・異常な人に強く悪影響を受けている人
の3種類が存在するようで、正常な人は哀しい思いをすることが多いのだ。根本的な解決にはならないけれど、さしあたっては「異常な人の真意を理解しようとする努力をやめる」ことでずいぶんと楽になるような気はする。

…と、先日江都屋の本店の方のコメント欄に書いた。実のところ言いたいことはこれで終わってしまうのだ。が、それではちょっと寂しいのでもうちょっと書いてみようか。あんまり話はふくらまないけど。
@@@

 何を以て「正常」「異常」を決めるのか。はてはて。大雑把に言うなら、正常とは建設的であり、異常とはその反対で破壊的である、と。大雑把すぎるか。でも大雑把にいかないと話が細かくなりすぎるからな。つまるところ、その思想や行動、判断が幸福へと向かう人は正常で、その反対が異常と、そういうことにしておこう。

 その性質が生まれつきのものであるのかどうか、変わる可能性があるかどうか、それらのことはさておきとりあえず現時点で「異常」である人、というのは確かに存在する。あの、これ、世の中を悲観的に見ているんではなくって、実際にそういう人っているでしょ?って話ね。どこぞの国の大統領や書記長のことなど考えなくても、あなたが身を置く人間関係の中に少なくとも一人はいるんではないか、ということ。「ううん、私の周りの人たちはみんな心のきれいないい人ばかりよ」なんてことをもしあなたが本気で言うのならば、異常者はあなた自身なのかもしれない(ああいや、これは半分冗談。半分本気)。

 で、基本的には正常なんだけど異常な人の悪影響(毒電波)が強すぎて、言動や体調がおかしくなってしまう人ってのもおりまして、おりましてっていうか、そのパターンが多いんではないかと思う。こんなこと書いている俺自身もやっぱりちょっと思い当たるフシがあるしねえ。あなたにもおそらくあると思う。あるいはあなたの同僚のあの人やあの人が時折理性を失ったように見えるのはやっぱり近くにいる影響力の強い異常者のせいなんではないか。

 そういう人の言動に左右されて右往左往して生きるのはとても辛いことだ。そういう変な影響を受けることからはできれば抜け出しましょう。そこでこの記事の冒頭に書いたことに戻るのだ。

 「異常な人の真意を理解しようとする努力をやめる」こと。

 正常な人は正常であるが故に、異常者の心も理解しようとしてしまう。なかば無意識的に「理解できるもの」であると思おうとしてしまう。そういった望みを持つことは大変結構なことだがしかし、現実はどうだ。あなたは、同じ日本語を使いながら思考内容の全く違う人を相手にしているのかもしれないのだ。どれほど言葉を費やそうと、いや、費やせば費やすほどゴミの山が築かれていく場合もあるのだ。

 そう感じたら、その人の真意を理解しようとする一切の努力を放棄しましょう。時間や労力、生命力の無駄だから。

 できることならそういう人との関係を断ち切れれば言うことはない。こういうことを言うと、それは交友関係を狭めることになりはしないかと危惧する人もいるだろうが、それはいらぬ心配なのだ。負のエネルギーを持つ人物を一人遠ざければ、正のエネルギーを持つ人物が二人以上寄ってくることだろう。

 んじゃね

<次回は「で」または「まで」で始まるタイトル>

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by edoya-ex | 2005-10-19 23:25 | シリトリヨタバナシ

心ならずも→モンゴリアン・チョップ的人生

 モンゴリアン・チョップとは、両の手で同時に相手の首筋のあたりに手刀(チョップ)を打ち込む技である。両手同時に打つので、互いの力が相殺されてしまい、見た目ほどは効かなかったりする素敵な技である。

 モンゴルの人々はたとえば夫婦喧嘩なんかでこういうチョップを使ったりするのかねえ。そんなことはないか。そんなことを言い出したらキリがない。アルゼンチンやカナダの人々は配偶者を肩にかついでギリギリと締め上げたりは(たぶん)しないし、オクラホマ州の夫婦がオクラホマ・スタンピートやオクラホマ・ヘイ・ライドで決着をつけた話など聞いたこともない。スープレックスを恐れて他人が後ろに立つことに神経質になるドイツ人というのもあまり聞いたことはない。それもそのはず、こういうプロレス技の名称はただ単に、その技の開祖の出身地がついているだけなのだから。

 で、その「モンゴリアン・チョップ的人生」というのはどーゆーものかというと、なんというかね、あちらを立てればこちら立たず、とか、とにかくそういう具合に空回りしてることがちょいと多いぞ、みたいな人生のこと。なに、こんな言葉は聞いたことがない?あたりまえだ。この記事のために俺が今つくった言葉なのだから。

 でもなんとなく感じはわかってもらえるだろうか。一生懸命がんばって力こめて打ち込んでるんだけど打撃力は相手に伝わらない。疲れるだけ。ね?むしろ片手でチョップしたほうが腰の回転も使えて重心の移動も楽にできて威力が伝わりやすいんだよ。それなのにモンゴリアン・チョップ。いけません。あなたはキラー・カーンではないのだ。勇気をもってモンゴリアン・チョップをやめて片手打ちに切り替えましょう。

 わかりましたか?

<ということで次回は「い」または「せい」がつくタイトル>

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by edoya-ex | 2005-10-10 22:24 | シリトリヨタバナシ

習字や算盤のお稽古→心ならずも

 心ならずも、という言いかたは何となく好きだ。不本意、よりは意味合いが柔らかく、当初の見込みとは違う流れになっていくのをどこか許している、そんな雰囲気であろうか。

 先日、床屋さんで髪を切ってもらっている間の話の流れから、切り終わってお金を払ってからも(他に客はいなかった)15分ぐらい話をしていた。いつぞやの記事に書いたように、俺は床屋さんとはもう少しドライな関係でいたいほうなのだが、このときは非常に興味のある話題であったのでついつい、心ならずも、話に乗ってしまったのだ(細かい内容についてはその床屋さんの個人的事情もあるのでここには書かないが)。

 話の中で床屋さんが言う。イギリスだったかフランスだったかの人々はバカンスのために働くのだ、しかし日本人がそういうことを言うといかにも不真面目であるかのようにとられてしまう、だからものすごいストレスを抱えながら働かざるをえない雰囲気があるのだ、と。うむ、なるほど。話の続きを聞きながらしばらく考えて俺が言う。一般に日本人は仕事にせよ趣味にせよそれを「〜道」とすることに美徳を感じるのではないか、そして休みや遊びのために働くというよりは、働くために休む、そういう視点で生きてしまう。そして小金を貯めて立派な家や自動車などを持ち、働いた成果を他者に見せつけることで優位に立ち、少しでも威張ろうとする、これがエコノミック・アニマルの正体である、みたいな話を(実際に交わした言葉とは大分変えてあります。いくら何でもこんなコムヅカしい話し方はできないよ)したわけだ。その他にも、背骨に良い枕の話や朝食を抜いて健康になる話、石けんの話などいろいろと。けっこう楽しく実のある話だった。

 これが「不本意ながら」ではない「心ならずも」のもたらす意外な収穫なのです。

<次回は「も」あるいは「ずも」で始まるタイトル。…「ずも」で始まる言葉なんてあるのかね?>

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by edoya-ex | 2005-10-06 21:44 | シリトリヨタバナシ

苦もなく禁酒→習字や算盤のお稽古

 習字や算盤を習ったことはない。

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by edoya-ex | 2005-08-30 21:23 | シリトリヨタバナシ