カテゴリ:シリトリヨタバナシ( 52 )

ナイトメア

 今朝方見た夢。

 俺と数人の仲間が異次元世界へと引き込まれてしまったらしいが、どうやら無事に帰って来れたようで、俺が通信機で本部(どこかは知らぬ)の者に「ありがとう、おかげで無事に帰ってくることができた」とか何とか言っている。俺たち一行が帰ってきたのはとあるマンションの一室。他のメンバーたちはほっとした顔でドアから出ていく。通信機を持った俺は(どうやらそこではリーダー的立場のようだ)皆が無事に外へ出ていくのを見ながら、しかしここは本当に元の世界なのだろうかと疑いを持ってしまう。この通信機で話している相手はもちろん俺の良く知る本部のあの人物ではあるが、本当に元の世界のあの人と同じなのか…?などと考えつつ俺もドアから出ようとするが、おっと、ちょっと待て、戸締まりを確認しなきゃと思うのではあるが、戸締まりをしている間にまた異次元世界へと引き込まれたらいかがいたそう…、なんて考えながら窓の鍵を閉め、ドアから外へ出る。他のメンバーたちが待っていてくれる。空は薄曇り。ごく当たり前のマンションやテナントビルが立ち並ぶそこそこ都会な街。うむ、確かにもとの世界へ戻ったようではあるが…

 というあたりで目が覚める。朝の5時前だ。ちょうど夢で見たのと同じような薄曇りの夜明けの空。さてさて、今俺がいるこの世界、本当に昨日と同じ世界なのだろうか?

<次回は「あ」または「めあ」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-06-10 20:02 | シリトリヨタバナシ

満腹感も悪くない

 
 何年かごと、もしくは年に数回か、周期は決まっていないが時折、新しい本を買いたくなくなってしまう時期がある。 

 満腹感のようなものであろうか、新たな知識を得ることを拒むようなのだ。生きていく上で必要な知識はとりあえず身に付けてしまった、もういい。これはもちろん錯覚なのである。実際は、まだまだ知らねばならぬことは山ほどあるのだ。

 これからまだまだ知らねばならぬことがあることに直面したくない気持ちと、これまでに見知ったことの整理がついていないために(PCに例えるならば)ちょっとフリーズしかかっていると、そんな状態らしい。

 実はここ二た月ほどそんな具合なのだ。新しい本を買う気になれぬ。仕方なく、本棚から以前に読んだ本を引っ張り出して読むことになる。これはこれで温故知新の趣があって悪くない。また本を読む楽しみが蘇ってきた。が、新刊書を読む気は未だ失せている。古本屋で島崎藤村の「破戒」や、太宰治の「走れメロス」など古いもの、昔々に既に読んだものを敢えて買ってくる。一冊105円也。

 読んでみるとこれが凄い。文章のチカラがとんでもなく、圧倒されてしまった。「破戒」の、主人公である丑松(うしまつ)が故郷へ帰る場面の風景描写。景色が目に浮かぶなどというものではない。体内の血流が変わったかと思った。あるいは「走れメロス」。文章が走っている。メロスなど学生の頃に何度も読んだ…筈なのに、今になってまた夢中に読んでしまった。

 たまにおとずれるこの満腹感も、こうして新たな古い発見(?)を呼び寄せるもので、悪くない、悪くない。


<次回は「い」または「ない」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-06-04 17:51 | シリトリヨタバナシ

敷物自慢

 虎一頭分丸ごとの皮がびろんとなっている敷物は悪趣味だ。だいいち何が狙いなのかがよく分からん。あれを敷いて何をどうしようというのか(自分で仕留めた獲物、ならばまだわからんでもないが、悪趣味であることには変わりはない)。

 そーいえば小学生の頃、同級生の家に遊びにいった時にそいつがさりげなく「その絨毯、百万」とか言ってたのもなんとなく成金趣味の匂いがして気持ちが悪い。百万したからどうだというのか。足で踏むな、というのか。もしもそんな意味だったのだとしたら、その絨毯はなんと貧乏臭い百万円だろうか。あるいはただ単に自慢したかったのか。たかだか百万の絨毯を?それもまた貧乏臭い。そいつの家は絨毯に百万円使うくらいだから、それなりに金は持っていたようだが、その割には貧乏臭いな。

 本当の金持ちというのは、自分が金持ちである事実に気づいていないものなのかもしれない。それを逆に考えてみると、本当の貧乏というのは自分が貧乏であることにすら気づかないということになるのだろうか。そう考えると俺なんかはまだ、自分がいかに金を持っていないかということをよく知っているので、まだまだ本当の貧乏にはほど遠いということになるのだろうか。

 まあしかし今後どれほど金持ちになろうとも、三畳で百万円程度の中途半端な高級絨毯なんぞは買わないように、よしんば何らかの気の迷いから買ってしまったとしてもそれを客人に自慢するような情けないことはしないようにしよう。

 そんなものは黙ってハサミで切り刻んで風呂場の足拭きにでもしておけば良いのだ。


<次回は「まん」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-26 23:45 | シリトリヨタバナシ

ムダ知識

 いわゆるトリビアではなく例えば、サーカスの人たちは体を柔らかくするために酢を飲んでいるなどの類いの嘘データである。実際これは単なる「データ」に過ぎないのだが、それを持つ人の中では確固とした「知識」となってしまっているので始末が悪い。

 で、その「酢」についてだ。これがまったくのガセだということは言うまでもないことなのだが(…と聞いてショックを受ける人がいても俺は知らん)、俺の職場にいるおっさんがこれを信じ込んでいるらしいことが先日判明した。それは嘘ですよ、と教えてあげても良かったのだが、面倒なので何も言わずにおいた。その言葉を発することが面倒なのではない。そのおっさんの持つデータの間違いを正し始めたら何時間あっても足りないほどJAROも真っ青なウソオオゲサマギラワシいデータの塊がずるずると出てきそうで、そんなものに俺の貴重な人生の時間を取られるわけにはいかんということだ。

 朝御飯をしっかりと食べなければいけない、というデータもある。これなども、信憑性がかなり怪しいものだ。午前中の人の体は、食べ物を摂り入れるよりはむしろ排泄する方に重きを置いて働くのだ。そのことを差し置いて考えるとしても、朝食をしっかり食べるというのはかなり無理がある行為だ。あなたが勤め人だとする。例えば朝の7時に起きて朝食を摂り、7時半頃に家を出てバス停まで10分歩き、来たバスに乗り込み15分揺られ、さらに満員電車に乗り25分、駅から会社まで10分ほど歩き出社、なんてことをしているとする。普通といえば普通だ。しかしこれがあなたの胃腸をどれほど痛めつけているかわかるだろうか?食後に眠気が来るのは、消化のために内蔵に血液が集まるからだが、朝食後にすぐ一時間も(!)「出勤」という重労働(歩いたり走ったり、満員ぎゅうぎゅうのバスや電車に揺られるというのは意外と重労働なのだよ)を行ない、消化のために使われるべき血液を筋肉運動のために使わざるを得なくなる。それでもケナゲな内蔵は少ない血液をヤリクリしてなんとかかんとか朝食のハムエッグやらトーストやらを消化しようとするのだ。ああ、なんと効率の悪いことだ。日本人の胃腸の具合が悪くなるのもうなずける。よって、朝御飯をしっかり食べなければならない、というのはウソデータということになる。事実、俺はこの5年ほど朝食は摂っていないが、まるっきり問題なく仕事ができている。むしろ、朝飯なんか食ってたらチカラが出なくなってしまう、のだ。あなたがそれを信じたくないならそれでもいい。

 でまあ、何が言いたいかということだがね、世の中には「常識」という名のウソ知識/ウソデータがけっこう蔓延していて、それを信じてる人々がいっぱいいるからね、もしもあなたが「本当のこと」を知ってしまって、それが世間の常識とはちょっとズレることだったりした場合、周囲の人を説得するのはなかなか骨の折れることだから、わからん人は放っといて、迷わずその道を進むがよろしいと、そういうことだよ。

<次回は「き」または「しき」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-25 21:13 | シリトリヨタバナシ

メンソレータム

e0089712_18412656.jpg 我が家ではタイガーバームが万能薬ということになっている。虫刺され筋肉痛関節炎皮膚炎はもちろん、風邪をひいた時には小鼻に塗り鼻の通りを良くし、あるいはノドや胸に塗ることもある。まことにもって重宝するものではあるが、ちょっと臭いのが難点ではある。ドリアン、のようだ。果物の王様などとあがめられているわりにはその匂いゆえに嫌われるドリアン。うむ、今後はタイガーバームを塗り薬界のドリアンという位置づけで考えることにしよう。

 そんなわけでタイガーバームを持ち出すほどではない時にはメンソレータムを使うことが多い。正確に言うならば今手元にあるのは「メンターム」である。メンソレータムよりいくらか安く手に入る。あるいは「メンタム」というのもありますな。中身は似たようなものなんだから何でもいい。どうせ気休めなのだから(なんてこと言う)、粗悪品でありさえしなければ安いほうがありがたい。それにメンソレータムよりメンタームのほうがメンソールが強くってスカッとするのだ。

 あー、ところでそのメンソレ関係は名前が似通っているけれど、絆創膏関係は色々呼び名があって楽しゅうございますな。「バンドエイド」とか「カットバン」とか。カットバンってのはいいね、歯切れがよくって。あるいは、各家庭によって呼び名が違う場合もありまして、それは何故かと言うに、置き薬の会社独自のものがその家の薬関係の呼び名になる場合があるのですね。我が家では長いこと、絆創膏を「キュラード」と呼んでいた。「救急キュラード」という絆創膏が入っていたのだ。きゅうきゅうきゅらーど。オバQ音頭みたいだ。

 「サビオ」なんて呼び名もあるね。どうも関西方面での呼び名というイメージがあるのだが気のせいかもしれない。ともあれこういう色々な呼び名に精通しておけば、出入りの業者さんからいきなり「兄ちゃん、『サビオ』持っちょらんかいのお」と尋ねられた時にも平常心で「ああ、『キュラード』」と呟きながらポケットからさりげなく「カットバン」を出すこともできるようになるのである。


<次回は「む」または「たむ」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-07 10:12 | シリトリヨタバナシ

シクラメン

  シクラメンの花を買いに本屋へと急ぎ自転車を走らせる。花屋ではなく本屋へ。この街には花屋はないのだ。だからシクラメンは本屋で、ヒマワリは肉屋で、その他、必要に応じて色々な店がそれぞれ違う種類の花を扱っている。花束を作ろうという時には大変だ。どれだけの店を回らなければならないか。商店街の端から端まで走らねばならないこともある。ここで言う走る、とは、自転車で、ではなく、足で、だ。午前11時から夜の9時までは自転車の通行は禁じられている。裏道というものも存在しない。そういう時には自転車は使えないので、この両の足を素早く交互に前後運動させて前進、つまり、走って移動するしかない。歩いてもいいのだが、とろとろと歩いていると途中でさまざまな誘惑物質が私を快楽の世界へと誘うのである。せやさかいに走らなあかんねん。しかし今日とりあえず必要なのはシクラメンの花のみであり、幸いなことにシクラメンを扱う店であるところの本屋は商店街の入り口近くにあるので、私は自宅から商店街入り口直前まで自転車を走らせ、商店街に入りきれずにいる商店街直前にあるまるで商店街からのノケモノであるかのような「元祖電器本舗サルマタ商会」の格子戸にチェーンで自転車をくくりつけておいてから桃色の商店街へと歩を進め、名前のない本屋へシクラメンの花を買いに行けば良いのである。所要時間はわずか消費税込みで40分である。インド人もびっくりだ。アゼルバイジャン人もびっくりだ。そして驚愕の表情を隠せぬアリューシャン列島出身の荒物屋の爺さんを横目にシクラメンの花束を小脇に抱え、ぬかるみの激しい浅葱色の商店街を来た道を疾風のように駆け抜け引き返し、「本家練炭取次所モモヒキ社中」の野外牢獄の檻に手錠でくくりつけておいた自転車の荷台に颯爽と飛び乗り、誰が運転しているのかよくわからずどこへ行こうとしているのかもわからないがとにかく、とにかく、自転車は走り始めるのだ。右腕はシクラメンの花束を抱えている。左手で運転者につかまる。花粉や砂埃のせいでよく見えないが、運転者の息づかいが左手に伝わってくる。私が左手で握っているのは、運転者の肋骨なのかもしれない。

<次回は「めん」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-06 01:47 | シリトリヨタバナシ

ラシク

 
 「らし」で始まる言葉を考えていて、「ラシク」が思い浮かんだ。これはもちろん、「バロン・フォン・ラシク」のことである。昭和の時代からのプロレスファンならわかるだろう。で、googleで検索してみたら2chの「地獄の墓堀人ローランド・ボックについて語ろう!!」なんてスレッドを見つけてしまい、ちょっと夢中になってスレッド上から下まで974の書き込みを読破してしまった。ちょっと目が疲れた。

 実のところ、バロン・フォン・ラシクにはそれほど思い入れはないのだ。しかし、ローラン・ボック(「ローランド」「ローラン」と二通り呼び方がある)。当時中学三年生だった俺は彼のダブルアーム・スープレックスを見て愕然としたのだった。ジャンボ鶴田のダブルアームなぞ、比較にも何もなりはしない。プロレスに台本があろうとなかろうと関係ない。ボックのスープレックスは本物だ、と。

 で、そこからまた話は飛ぶ。近年、総合格闘技の試合にプロレスラーが出て、ころころ負けている。腹立たしい。ボックが出ていたらどうだろう?なんて考える。あるいは、バロン・フォン・ラシクでもいい。ラシクのブレーン・クローが本当に決まったら面白いのにな。いやまて、クローだったら、フリッツ・フォン・エリックだ。とかなんとか考えてみる。

 総合の試合に出るプロレスラーたちはなぜだか相手の間合いに合わせてしまうんだよな。なんで自分の間合いで戦おうとしないんだろう?だから簡単にやられてしまうんだよ。ひょっとして、そういう筋書きに従うことを前提にギャラが決められているんではなかろうかと、不本意ながら穿った見方をしてしまうのだよ。

 当たり前の話だが、プロレスラーは格闘家ではないのだから、格闘家のマネゴトなんてしなくていい。マネゴトなんてしなくっても充分強くあればいい。あるいは、強いだろうと期待させてくれるだけでもいい。そういう点、レスラーの側もだけれど、プロデュースする側も活かさなきゃねえ。クソ真面目に真剣勝負ぶりっこするからマウント・ポジションの膠着状態にしかならないんだ。

 総合格闘技の皆さんは、昭和時代のプロレスでも見て、見せ方のオベンキョでもしたらいい。いや、これはいまどきの格闘技かぶれのレスラーさんたちにも言えることだがね。

 まとまりのない話ですまんのお。


<次回は「く」または「しく」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-03 22:39 | シリトリヨタバナシ

肉を食べない暮らし


 この3月から、本格的に肉を食べない食生活に入った。きっかけは…と考え始めるとけっこう古くにまで遡る。20年ほど前に読んだ漫画がそのきっかけだったりする。

 モーニングだったかアフタヌーンだったかで連載されていた、医療と食と農業をテーマに、現代日本人の食生活へ疑問をぶつけるものだった。肉の多食がスタミナを失わせること、薬を頼った医療への疑問、有機農法、野菜をしっかり食べることで薬も飲まずに肝臓病を好転させる話など、それまで深く考えたことのなかった話題がいっぱいの漫画だったのだ。それが最初のきっかけ。

 直接のきっかけは、一年半ほど前に某所で紹介されていたサイト、「生活習慣病を予防する食生活」。牛乳は体に悪い、哺乳類である牛や豚を食べるのは共食いをしているも同然だ、穀物をしっかり摂る、などなど、うすうす感じていたことがズバズバ書いてある(いちおう言っておく。この人はべつに宗教的規律や倫理観からこういうことを言っているわけではない。もちろんそこらのシロート健康オタクでもない。プロの人であるよ)。それから一年。半年ほど前に菜食関係のサイトをいくつかみつけ、これはひょっとして自分にもできるのではないかと思い始め、まずは自宅での食事から動物性食品を排してみた。昼食は相変わらず、会社で頼んでいる仕出し弁当。肉、魚、野菜が日替わりで「バランス良く」供される。だんだんと負担になってきた。まずは肉を残すようになる。色々と調べてみると、昼食も控えめにしたほうが午後の仕事のためであることがわかる。御飯も半分がた残すようになる。これはもったいない。食べ物がもったいないのは勿論、一食350円(だったかな?)の弁当代を出すのももったいない。ということで、おむすびを自分で作って持っていくことにした。これなら肉も魚も卵も選り分ける必要がなくなるし、安上がりだし、自分の健康管理を自分でできるし、ね。一年と少しの準備期間を経てようやく肉抜きの生活ができるようになった。

 現在のところ、牛豚はもちろん、鶏や魚、牛乳、卵、これら動物性食品を食べないようにしている。とはいえ完全にはできていない。缶コーヒーやチョコレート、時折食べてみる菓子パンなどには牛乳や卵が入っている。あるいはたまに無性に食べたくなるカップ麺。ダシはカツオだったりポークエキスとか入っていたりするし、具にはもちろん肉が入っていたりする。チャーシューメンの類いのものは避けるようにしているので、肉といってもほんのカケラ程度。こういうのは敢えて避けてはいない。だから厳密には「ベジタリアン」とは呼べないのかもしれない。普段は一応、動物性のものは摂らずに済むように自炊しているのだけれどね。ま、メインのgooブログのプロフィール欄に書いてあるように「肉食抑制主義者」とでも名乗っておけばよいか。あるいは「セミ・ベジタリアン」とかね。

 ところで困ったことがひとつあるんだが。スーパーマーケットの肉売り場を通る時に、「肩ロースブロック」みたいな塊の肉を目にすると妙に生々しくてちょっとオエッと感じてしまうようになってしまったのだ。実際の吐き気には至らないんだけど。ソーセージとかハムとか、しゃぶしゃぶ用の薄切り肉みたいな「加工された完成品」ならどうということはないんだけど。元を想像させるようなのは最近ちょっとだめだ。そうそうこないだ、俺がよく行くスーパーマーケットでそういう塊ではなくって切り落とし?だったかの肉が青いポリ袋にどっさり入って安売りされていたんだけど、袋の色のせいか、中の肉の色が毒々しく真っ赤っかに見えてさ、このときはほんとにウゲゲッとなりそうだっただよ。いやこれは、俺が肉を食わなくなったからそう感じたんではなくって、普通に肉食べる人(っていう書き方もナンだけど)から見てもウゲゲゲッていう色だったと思うよ。いやあびっくりした。

 んぢゃまたね

 

<次回は「し」または「らし」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-05-02 11:25 | シリトリヨタバナシ

生きるために

 もう二十年以上前のこと。母と姉が口論をしていた。

 生きるために食べるのではなく、「食べるために生きるのよっ!」と母が言ったため姉はさらに怒りを増したのである。こうして文章にしてみるとなにやら哲学的な口論のように見えるかもしれない。しかし実際は、この口論は何か別の取るに足らぬ(茶碗に牛乳の蓋を入れたとかどうとかいう類いの)ことから始まり、お互いの言葉の揚げ足取りにより論点がズレズレズレていった結果、こういうネタになったに過ぎない。ある時期から、ここで母娘もろとも一喝するのが俺の役目になっている。実家に帰っている時に限られるが。実のところ同じパターンで始まる口論に飽き飽きしているのでそろそろ「えー年こいて何十年同じことを繰り返すつもりだ!」というセリフが使える日が近づいているのは喜ぶべきことなのか。

 さて、その母娘関係のことはさておくとして、その時の母のセリフ「食べるために生きる」、これはなかなか深い言葉なような気がしてきた。というのは、「生きるために食べる」というとたしかに聞こえはいいが、それでは食事がただ単に生きるためのものに成り下がり、楽しみも何もなくただ胃の腑を満たすためのもの過ぎぬかのようである。しかし「食べるために生きる」だ。「食べる『だけ』のために生きる」のではない。食もまた生きる悦びなり、だ。なるほどいいこと言うぢゃないか、お母ちゃん。売り言葉に買い言葉のはずみとはいえ。そう、食のことを考えることや、食を楽しむことは生きるよろこびのひとつなのだ。贅沢などはしなくてもよい。いい食事をしよう。それはやはり悦びなのだ。

 こう考えてみると、口論が生む失言というのものもまた聞き逃せないな。耳掃除を怠らぬようにしよう。


<次回は「に」または「めに」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-03-30 21:27 | シリトリヨタバナシ

大蒜ポリシー

 大蒜。にんにく、と読む。

 あまり頻繁に使うこともないので大蒜を買い求めることは少ない。たまに買う時に少しだけ悩むのは、中国産にするか国内産にするか、だ。大雑把に言って二倍半から三倍の価格差がある。もちろん国内産のが高い。もちろん、というのもなんなんだがね。

 悩むことはないのだ。たいして使うことがないのならば青森産の大蒜(ひとつ198円)を買えば良い。中国産の大蒜があの網タイツ(?)に三つ入っていて198円だとしても、味も香りも薄いし、だいいち半分以上は使い残すではないか。悩むことはないのだ。しかしそういう場面でついつい「コスト・パフォーマンス」という言葉を頭にめぐらせてしまう主婦の哀しいサガ…、いやいやちょっと待て俺は主婦ではないのだ。

 まったく、何で大蒜一つでこんなにも悩まねばならんのだ。値の張るものにはそれなりの理由があるのだし、その出費を厭わぬことが後々の余計な出費を避けることにもなるのだ。俗に言う「安物買いの銭失い」はするまいぞ。

 ところでさっき、ジャンク品のカメラバッグを180円で買ってきたのだけれど(本当)、だからといって大蒜ポリシーを崩す気は、ない。これはこれ、あれはあれだ。


<次回は「い」または「しい」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2006-02-01 18:50 | シリトリヨタバナシ