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宴(えん)の下の力持ち

 その男はたいそうな力持ちであった。

 仁助(にすけ)という名だが、その怪力から八人力の八助、十人力の十助とも、あるいは思い切り誇張して百人力の百助とも呼ばれたりもしたものだ。
 村の稲作、畑作にはなくてはならぬ働き手であった。我が家の田畑のみならず、力の乏しい老夫婦の、あるいは乳飲み子や病人のいる家の田畑への援助もいささかの躊躇いもなくおこない「村すべてのためなのだから」と、何らの見返りも求めぬ。
 村はずれに住み着いた柔術の師範に幼少の頃より手ほどきを受けており、数え年で十になるかならぬかの頃には熊との相撲に勝ったなどとの伝説めいた噂さえ立つほどすぐれた技。農閑期には道場の師範代も無償でつとめるほどであり、村の用心棒としての役割も担う。
 その力と技をいささかも奢り高ぶることのない温厚な人物。村人が彼に寄せる信頼は厚い。後々には村の長(おさ)にと老いも若きも誰もが疑わぬ、そのような男であった。

 ある年の秋。豊作の年であった。収穫し滞りなく年貢を納めた。あとは年越しにそなえるのみ。祭りがおこなわれる。大地に、お天道様にあるいは八百萬(やおろず)の神々に感謝を捧げ、そして何より村人みな互いの働きに感謝を捧げるのだ。
 神輿や捧げものなどの行事をひと通り終えた後は、皆の足は自然、仁助の住まう家へと向かう。食べ物や酒を持ち寄り、宴(うたげ)をひらくのだ。夜更けまで飲み、食べ、歌い、語らう。
 宴がいつの間にか静まり、みな雑魚寝をしている。ひとりむっくりと起き上がるものがある。仁助である。小用を足しに目を覚ましたのだ。厠(かわや)へ向かい歩き出す。歩を進めるごとに体がぐらりぐらりと揺れる。
 「うむ、これはいかん。俺としたことが…」
 あまりに楽しく、ついつい飲み過ぎてしまったようである。覚束ない足取りで外に出、厠にて用を足す。冷たい夜風に酔いも覚めたか、もはやふらつくこともない。朝までまだ間がある、もうひと寝入りしようと上り框(かまち)に腰をかけるとまた、体がぐらりと揺れた。これは俺の酔いのせいではない、もしや家が揺らいでいるのではなかろうか。
 そっと腰を上げ、静かにしかし足早に裏口へとまわり、竈(かまど)の脇から縁の下に潜り込む。四つん這いで土台の石や柱をひとつひとつ見て回る。見つけた。虫にでもやられたか大黒柱は内部に大穴が開き、皮が残るのみ、もはや柱の用をなしておらぬ。
 なるほどこれならば一足ごとに揺れ、ひどく酔ったと勘違いするのも道理。と、訳は分かれどさてどうしたものか。多くの村人が雑魚寝する今夜、もしものことがあるやもしれぬ。
 柱の腐ったところを取り除き、その真下、土台部分に座布団代わりに平たい石を据え、腰をおろし胡座を組む。柱の下端に右の肩をあてがい、背中をぐっと弓なりに反らせる。我が身をもって家を支えようというのである。幼い頃に柔術の師範より教えを受けた"剛体の術"を使えば支えられるだろう。体中の間接を固めれば何があっても崩れるものではない。滅多なことで使ってはならぬと言われ伝授されたが、今がその、滅多なときなのだ。
 ふ、と笑みがこぼれる。そういえばあの時もこの術を使ったのだったな。俺を見つけた師匠が術を解くまで動けず、あとでひどく叱られたっけ…。村の噂の熊との相撲の時のことだ。
 「皆は俺が熊に勝ったと噂しているようだが…」
 剛体の術を用い押しても引いてもびくともせぬ仁助を攻めるに攻めきれず、熊も音(ね)を上げ引き上げていった。だからあの勝負、負けはしなかったが、
 「勝ちもしなかった…」
 のである。
 皆の誤解を解かぬままであるのはいささか不本意ではあるがしかし、しかたあるまい。村のことは弟の又六がきっとうまくまとめてくれよう。さて…
 もはや覚悟は決まった。体の位置を確かめ姿勢を決めた仁助は、ひとつ大きく息を吸い込み、数秒の間止め、ゆっくりとゆっくりと息を吐いていく。吐くほどに体が固まり、意識が遠のいていく―




 数年後。祭りの晩以来行方知れずとなった兄の仁助に代わり家を継いだ又六が妻をめとり、それを機会にと老朽化した家を建て直す際、大工が縁の下で屍蝋(しろう)化した仁助を発見した。知らせを受けた又六はすぐさま仁助のもとへと駆けつけ、死してなお穏やかな表情の兄の前にひざまずき、
 「あんちゃん、こりゃあまさに"灯台下暗し"じゃったのう」
と言い、泣き崩れたという。「縁の下(あるいは"宴の下")の力持ち」という言葉は当時はまだなかったのである。

 「縁の下(あるいは"宴の下")の力持ち」は、この史実を元にした、後世の人々による造語なのである。

<次回は「ち」または「もち」で始まるタイトルの話ですよ>
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(すべてつくりばなしです。念のため)
by edoya-ex | 2009-03-01 19:31 | シリトリヨタバナシ
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