幼稚園→エンドロール

 映画のエンドロールを最後まで見るのがそんなに苦痛なのだろうか、本編が終わると同時にソソクサと席を立ち出口へと向かう人たちがいる。



 確かにやたらと長くひねりもないエンドロールにつきあわされるのは俺も苦痛に思うこともある。出演者やスタッフの名前やその他もろもろの文字がずるずると流れていく。日本の映画ならまだしも、アメリカ映画だと(当然)英語なので、読もうと思ってもとても文字を追いきれるものではない。読んでもたぶん面白くはなさそうだし。そうなると音楽や映像で引き付けてほしいものだが、これがまたつまらなかったりする。大袈裟な曲が大音量で流れ、単なる本編のダイジェスト映像が続く。こんなエンドロールなら確かにさっさと席を立ったほうがよさそうだ。よさそうなんだが、しかし、そこで俺は淡い期待を抱いてしまうのだ。何かオチがあるんではないか、映画本編の「後日談」がちらっと挿入されているのではないか、あるいはさりげなく続編の予告がなされるのではないか、などなど。そんなわけで俺は延々と続くエンドロールを見てしまうのだ。その期待は見事にすかされることがほとんどなのだが。

 見るか見ないか、価値観は人それぞれなのだから誰もそれを押し付けることはできないのだが、平気な顔でスクリーンの前を横切っていくのはどうかと思うぞ。そりゃ事情もあろうけどね。次の予定がつまっているとか、つれてきた子供が早く出たいと言うから仕方なくとか、隣に座っていた男が臭かった、なんてこともあろう。でもまだ見てる人(俺)がいるんだから、もーちょっとモウシワケナサソーな顔でもしてくれってんだよ。確かにエンドロールなんてあんまり面白いもんではないけどさ、俺はそれをぼんやりと眺めながら、余韻、ってものに浸ってみたりもしてるんだから。でもまあそれもひとつの「映画館の風景」だと思えばいいのかね。スクリーンに映る影も映画の一部だ、なんてね。

 さて、まだ話は終わらない。これについてはちょっと違った考えも持っているのだ。

 エンドロールを見ずに立ち去る人たちに対して俺が不快感を抱くのは、ひょっとしたら映画館の構造自体に原因があるせいかもしれないぞ。映画館、といえば規模の大小はあれど、だいたい同じような構造になっているね。スクリーンがあってそれに相対する形で座席がずらりと並んでいる、そう、あなたも今思い浮かべた(であろう)あの形。あれを変えてみたらどうだろう。まず、今ある座席を全部取っ払う。そして、ビアガーデンとかオープンカフェとかにある四人掛けの丸テーブルがありますね、あれを適度な間隔で置く。んで、スクリーンを今よりもう少し上に持ってきて、人が通っても気にならないようにしてみる。どうだ。このやりかただと、たとえば映画の途中でトイレに行きたくなった時でも遠慮なく行けるぞ。んで、料金は今の1,800円でいいや。ただし、1ドリンクつきで。いや、ドリンクはともかく、これならエンドロール見たい人は本編が終わった時にさっと前のほうへ移動しやすくもなるからいいんではないか。問題は収容人数が減ってしまうということだけど、そりゃ映画館側が考えるべき種類の事柄なのでありますから、われわれ観客は、よりよい鑑賞環境を(自分勝手に)要求すれば良いのであります。

 以上


<次回のタイトル尻取りは、「る」または「おる」で始まるタイトルですよ>
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by edoya-ex | 2005-08-16 21:27 | シリトリヨタバナシ
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